2023.7.8更新
■徳川将軍家
2代秀忠はO型、6代家宣がO型、9代軍家重(吉宗の子)がA型、12代家慶がB型、桂昌院(5代綱吉の母)はA型。となると、初代家康はAB型ではないことになります。
2代 秀忠 O型
6代 家宣 O型 父・徳川綱重 O型
7代 家継 A型 母・月光院 A型
9代 家重 A型
12代 家慶 B型
14代 家茂 A型
《出所》
鈴木尚著『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』
鈴木尚他編『増上寺 徳川将軍墓とその遺品・遺体』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1414/risa-t/zoujouji.htm (リンク切れ)
■その他
豊臣秀吉 O型(血判より…東大調査)
北条政子 O型(遺髪より)
大久保利通 O型
高杉晋作 A型[2020.3.21追加]
桂小五郎(木戸孝允)A型[2020.3.21追加]
夏目漱石 A型(遺族聴取…能見正比古さん)
伊達政宗 B型(遺骨より)http://www.zuihoden.com/
西郷隆盛 B型(遺髪より)Update!
藤ノ木古墳の被葬者(2人)B型
上杉謙信 AB型
武田信玄 A型 https://matome.naver.jp/odai/2139081144228000101
真田幸村 A型 https://matome.naver.jp/odai/2139081144228000101
2018.8.14更新
■未確認情報
織田信長 A型(血痕・遺髪より)http://ameblo.jp/rallygrass/entry-10823746808.html
信長は理念の英雄、A型か?【能見正比古さん abo mate 82年5月号より抜粋】
織田信長については、まだ血液型を調べる試みがなされてなく、推理するほかはないし、世上に伝えられるイメージからは、私はためらいもなく、A型と見る。
A型の一般社会人は、世間や周囲に合わせて自分を抑制するタイプが多いが、その内面は、実は、最も激しい。ときには爆発的ともいいたい気性を潜める。育つ環境によっては、自己抑制の必要に迫られず、その烈しさをむき出すA型も少数ながらいるものである。
小国ながら、戦国大名の子に生まれれば、自己抑制の必要感は乏しい。そうなると逆にA型は、自分を閉じこめようとする周囲に烈しく反逆する。信長の少年時代の奇矯な振舞いは、そのA型性が、なまのまま出ている。
桶狭間の戦いは、全くO型にはない行動。O型は現実的勝負師で、勝つ見こみの少ない無謀な戦いは、まずやらない。意地を立て、自分の筋を通そうと必死捨て身の戦いに出るのはA型である。もっともB型も一か八かの投機を好み、奇抜な作戦を好む。戦いぶりだけならB型の伊達政宗とも共通する。
ただ、信長が政宗と異質なのは、人を信じきれず、心を傷つけられると、回復しにくい点で、これもA型の一つの特色だ。信長の光秀に対する執拗ないびりも、その例だが、昔、そむかれ、一旦は許した諸代の重臣佐久間借盛を、三十余年後、罪を問い直し、追放するなどは、A型としても極端さに驚く。B型の政宗となると、自分を毒殺しようとした母親を、三年後には再び招いて、同じ館に共に住んでいるのである。
2016.9.3更新
明智光秀 A型(「みつひでAI」より)
明智光秀の子孫と言われる家系の人々を中心とした、一般社団法人明智継承会では「みつひでAI」を公開しました。
まあ、常識的に考えると明智光秀はA型でしょう。A型は4つの血液型では一番忍耐強いのですが、我慢の限界を超えると一気に大爆発します。本能寺の変は、血液型的にはうまく説明できそうです。
2020.3.15 更新