心理学者はブレているにあるように、疑似科学否定論者たちは、統計データに見方が見事にバラバラです。
その一方で、血液型と性格に「関係がある」と認めている論者もほとんどありません。統計データについての見解と、それによって得られた結論は関係ないのでしょうか?
そこで、主要な論者の主張をまとめてみることにしました。彼らの主張は、驚くほどバラバラであることがわかると思います。
☞小さな相関が存在する可能性はあるが、現時点ではまだ確認されていない
☞よって、大きな相関を主張している「血液型人間学」「血液型性格診断」は誤りである
☞見かけ上は統計データと血液型には相関がある
☞しかし、それは「思い込み」によるものであるから、本来は血液型と性格には関係がない
☞よって、「血液型人間学」「血液型性格診断」は誤りである
☞統計データと血液型には相関がないので「血液型人間学」「血液型性格診断」は誤りである
さて、実際には、統計データと血液型に相関が出た論文はいくらでもあります。それはこのサイトを見れば明らかでしょう。
そこで、この点を何人かの疑似科学否定側の論者に質問してみました。ところが、驚くべきことに、ほとんど全員が「回答拒否」だったのです!
言うまでもなく、科学の基礎・基本は、データの「再現性」を確認することです。血液型と性格に関係があるのかどうかを論じるには、統計データと血液型とに相関があるのかどうかは最も重要な論点です。ある人の統計データでは血液型と「相関がある」、別な人のデータでは「相関がない」というようなバラバラの結果なら、到底科学とは言えません。ですので、血液型という“疑似科学”を否定しようとする論者なら、この点を他人にきちんと説明できなければ話になりません。
しかし、しつこいようですが、事実はほとんど全員が「回答拒否」だったのです。
自分の立場をはっきりさせると、何か問題があるのでしょうか?
まさかとは思いますが、疑似科学否定側の見解がバラバラだと困るということなのでしょうか?
少々話が飛躍しますが、この点は、福島第一原発事故の放射能の論議に似ているのかもしれません。
放射能について、科学的に何が正しいのでしょうか? 同時に、社会的・政治的にはどの程度までなら放射能が許容できるのでしょうか? 科学的な議論をしようとするなら、それらが主要な論点になるべきもののはずです。しかし、現実は、おのおのの論者は、相手のことを無視して、自分の主張を単純に繰り返しているように見えます。正直なところ、私のような第三者からは、あまり議論が噛み合っているとは思えません。もちろん、例外がゼロとは言いませんが…。
放射能の議論は、一応は科学的論争という形を取ってはいます。しかし、多くの論者は、自分の立場や、グループへの帰属感の方が、科学に優先しているように見受けられるのも事実です。
残念なことに、それは「血液型と性格」という問題でも変わらないようです…。
そう考えると、疑似科学否定側の見解が一貫していないことには、何の不思議もありません。上に紹介した論者の一覧も、そういう視点から見ると納得できるかもしれませんね。
2016.9.6更新
この他に、混乱している主張という奇妙な内容のものもあります。
統計データに差があるのかないのか不明なのです。
なお、内容についてはご本人に確認したのですが、ご返事もいただけないし、サイトの内容も変更されていないようです…。
2019.10.5更新